博覧会

梅雨を思わせるような東京地方の天気。
週末までこんな調子らしく、お日様を拝むことなく今月は終わる様子。
子どもたちも、夏休みの最後がこれではさぞや残念がっていることでしょう。
他の大学に比べて相当早いように思いますが、ムサビの夏休みも今月いっぱいで終了。
9月1日から授業開始です。学生諸君、そして先生方、準備はいかがでしょうか?

毎年、夏休みの終わりは、その年製作している教科書の原稿締め切りにあたることが多いのですが、今年も何人かの先生とお約束しています。是非、いただきたいなぁ。
今年、私が担当している教科書は、「ミュゼオロジー」と「工芸教育」。
現時点でいただいている原稿の整理を日々進めているのですが、今年の2分野は共通項が結構あり、それぞれの著者が同じ話題を取り上げるケースも見られます。
共通キーワードのひとつは「博覧会」でしょうか。
日本におけるミュージアム=博物館のはじまりは、1872(明治5)年、文部省博物局が湯島聖堂大成殿で初めて開催した博覧会とされています。博覧会を行う目的は国内産業の振興にあるわけですが、欧米で開催される万国博覧会への参加を見据えた予行演習の意味合いも大きかったようです。
そして、明治政府が初めて参加した万国博覧会が、翌1873(明治6)年のウィーン万国博覧会。日本家屋を建てたり、日本庭園を造ったり、高品質の工芸品を展示したりと、懸命な日本アピールが行われました。その甲斐あってか、大変好評を博しジャポニスムの流行に拍車を掛けました。
そんな表舞台の陰で行われたのが、伝習員の派遣事業。各分野で選ばれた人員が、博覧会終了後もヨーロッパ各地に残り、さまざまな産業の技術を学びました。当然、伝習項目の中にはガラス、陶磁器、織物などの工芸分野も含まれていて、それらの最新技術を身につけ帰国した人たちが、その後、それぞれの分野の発展や教育に果たした役割は大きいものだったようです。

まだまだ全体が見えない状況ですが、この2冊、あわせて読んでもいいんじゃない? などと勝手に思っています。現在、博物館や美術館にお宝として収まっている国内産近代工芸品も、出来たてほやほやだった時があり、そのつくり手の思いや熱意に思いをはせるのに、またつくられた時代背景などを知識としてしっかりと身につけるのにうってつけ! なんてことを本が完成した暁にはこの場で書き立てたいものです。
まずは、どちらもちゃんとつくらなければいけませんね。がんばります。

あ、お原稿、お待ちしてまーす!

(編集:凹山人)

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