戦慄せよと音楽は言う

って、ちょっと大げさなんですけど、いま音楽の本を作ってます。武蔵野美術大学通信教育課程の教科書ですが一般書店でも販売します。監修は『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー』の著者、白石美雪先生で、ほかに宮澤淳一先生、横井雅子先生の3人が執筆します。

これまでのような西洋中心の地域別・時代別の音楽論とは異なるアプローチで音楽を捉え、いま現在の私たちの生活の中で「音楽の文化」がどのように広がっているか、その具体的な広がりを捉えよう、というすごく意欲的なもくろみがあります。

ものすごくかいつまんで言っちゃうと、モーツァルトの「フィガロの結婚」と人形浄瑠璃「心中宵庚申」と韓国のパンソリが、「声」をテーマに論じられる。
あるテーマでは、グレン・グールドを起点に、「帰ってきたヨッパライ」を展開点としスバイダーズ、ザ・テンプターズから初音ミクまで論じきる。

原稿整理しながら「なんという、めくるめく音楽的世界…」とうっとりしたわけです。
このうっとり感を来年春にお届けします。心してお待ちくださいませ。

で、どこが戦慄なんだという話ですが。
音楽って、直接的・生理的に働きかけてくるので(とt:eehは思ってるわけです)ときに戦慄するよね、ということなんです。
遠いところで憶えているのは、ケーブルテレビで流れていたモーツァルトの40番でした。カール・ベーム指揮、ウィーン・フィル演奏で、とくに第二楽章が…なーんにもないところから魔が滲みだしてくるみたいで怖かった。
戦慄したんですね。

音楽には、極上という言葉がよく似合うと思います。

編集:t:eeh

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