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第3回

『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー』とともにおくるジョン・ケージ生誕100年<VOL.2>

● 黒紋付羽織袴のジョン・ケージ

 ジョン・ケージが黒紋付の羽織袴を着た写真があります。1989年、第5回京都賞を受賞した際の記念写真です。羽織袴姿で受賞のメダルを掛け、扇子を両手に持ち椅子に座るジョン・ケージ。

 この時、ケージは普段と変わらないラフな服装で授賞式(京都)にやってきたのだとか。羽織袴はもちろん貸衣装ですが、ケージはとても面白がって羽織袴を身に着け、記念撮影に納まったそうです。

 その姿は『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー』263ページに載っています。ケージは当時77歳。いくつになっても好奇心を失わない、かわいい「おじいちゃん」のようにも見えるとてもいい写真です。

● ブラック・マウンテン・カレッジとジョン・ケージ

 バウハウスといえば知る人ぞ知る、いわば伝説的な教育機関です。当時、ナチスの台頭によってベルリンのバウスが閉校となり、それを機にアメリカに移住(亡命)したジョゼフ・アルバースがブラック・マウンテン・カレッジに招請され、教育方針やカリキュラムの作成にかかわりました。いわばバウハウスをモデルとした先進的な芸術教育が始まったのです。1933年のことでした。クサンティ・シャヴィンスキーやシェーンベルクの高弟のひとりであるハインリヒ・ヤロヴェッツ、さらにデ・クーニング夫妻、ロバート・ラウシェンバーグ、チャールズ・オルソン、リチャード・バックミンスター・フラー、そして1948年にジョン・ケージとマース・カニングハムが講師としてブラック・マウンテン・カレッジを訪れることになります。いずれ各ジャンルを代表することになる人々が続々とブラック・マウンテン・カレッジに集まっていたというわけです。

● ベートーベンかサティか。ケージの「サティ擁護」

 ケージが参加したブラック・マウンテン・カレッジの1948年の夏期講習は、ベートーベンかサティかで侃々諤々? 喧々囂々? まことに熱い夏となりました。その中心にいたのが他ならぬケージです。

 当時、ブラック・マウンテン・カレッジで音楽講習のディレクターをつとめていたエルヴィン・ボドキーは、バッハ、ハイドン、ベートーベンからショパン、バルトークらの古典的な作品による「土曜の夕べ」コンサートを開き、講習のテーマに選んだのはベートーベンの32曲のピアノソナタでした。

 一方で、ボドキーにコンサートの企画を依頼されたケージが開いたのは「エリック・サティの音楽によるアマチュア・フェステイバル」。ベートーベンを軸とするコンサートとサティ・フェスティバルが並行して開催される、自由で多彩な夏が始まったのです。そしてケージが「サティ擁護」と題された講演を行ったことで、多彩な夏は一気に「熱い夏」と化します。

 ケージが企画したコンサートや講演が鮮烈な体験となって、熱狂的な討論からさめた観察まで、夏期講習に滞在していたほとんどの人が音楽を巡る議論に巻き込まれたのです。たとえば〈食事の時間になると、人々は立ち上がり、音楽の存在そのものについてあれこれ宣言した! 夏を通じて、あらゆる感情が生まれ、主張された。私にとっては音楽の現状を問い直す時間となった〉というように(『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー』27ページより)。

 ケージによるサティ擁護とはいかなるものであったのか。同書25ページからの「サティ擁護」とそれに続く1章-2:西洋の中の東洋は必読です。

● Pick up プラス
デザイン学 思索のコンステレーション

デザイン学 思索のコンステレーション
向井周太郎 著
四六判/上製/464頁
定価3,240円(本体3,000円)

 ブラック・マウンテン・カレッジのカリキュラムや教育方針に深く影響を与えたバウハウスは1919年ヴァルター・グロピウスを学長に、国立バウハウスとしてヴァイマールに誕生。1925年ヴァイマール・バウハウスはデッサウへ移転し、これを機に国立から市立になります(デッサウ・バウハウス)。1932年にはベルリンへ移転(ベルリン・バウハウス)、同時に市立から私立学校となり、翌33年ナチスにより廃校となります。これを機にジョゼフ・アルバースがアメリカに亡命、ブラック・マウンテン・カレッジに招請されるわけですが、ではバウハウスの教育理念とはどんなものであったのか。『デザイン学 思索のコンステレーション』所収「コスモロジーとしてのバウハウス」(pp.48-65)では、その本質と変遷を〈バウハウスが私にとって興味深いのは、単にバウハウスのデザイン様式ではありません。私はバウハウスが近代デザインを生みだしたという側面よりも、むしろバウハウスという運動体が孕んでいた多様性に意味があるのだと考えています〉と論じています。デザイン学の泰斗・向井周太郎の集大成となる本書は、デザインを学として総合的に論じた名著です。「デザイン哲学の集大成 あるべき生活世界の形成はいかにして可能か?」の帯の文字が目印です。第8回竹尾賞受賞。



エル・リシツキー 構成者のヴィジョン

エル・リシツキー 構成者のヴィジョン
寺山祐策 編
多木浩二、勝井三雄、新島実、寺山祐策、五十殿利治、本庄美千代、向井周太郎 著
B5判/上製/4色刷/256頁
定価6,048円(本体5,600円)

 バウハウスがドイツに生まれたのは激動と混乱の時代でした。1914年に第一次世界大戦勃発。1915年アインシュタインが『一般相対性理論』発表。1916年トリスタン・ツァラらダダイズム提唱。1917年2月革命、10月革命が起きてロシア帝政崩壊。同年アメリカではデュシャンが美術史上のエポックメイキングとなった作品「泉」を発表し、オランダで雑誌『デ・ステイル』創刊。1918年第一次世界大戦終決、ドイツ革命でドイツ帝国崩壊、そして1919年1月ドイツ労働者党(後のナチス)結成、4月バウハウス誕生、8月ヴァイマール共和国の憲法発布。革命と戦争と芸術運動、新しい思想がヨーロッパ全域に広まった時代でした。しかし、ヴァイマール共和国とともに生まれたバウハウスはナチスの台頭とともに廃校に追い込まれ、ソヴィエトの若き芸術家の多くは革命後の血の粛正によって殺され、あるいは亡命へと追い込まれます。

 ダダ、キュビスム、未来派、シュプレマティズム、シュルレアリスム、ロシア構成主義など、この時代の若き芸術家たちの創造と、時代の波に呑まれてゆく盛衰を一冊にまとめたものが『エル・リシツキー 構成者のヴィジョン』です。新しい時代の荒々しい胎動と理想の破綻は当時の作品に克明に描かれています。第40回造本装幀コンクール審査委員奨励賞受賞。



石元泰博―写真という思考

石元泰博―写真という思考
森山明子 著
A5判/上製/4色+1色刷/324頁
定価4,536円(本体4,200円)

 ブラック・マウンテン・カレッジが創設された4年後の1937年、モホイ=ナジがニューバウハウス(The New Bauhaus Chicago)をシカゴに創設します。モホイ=ナジもまたバウハウスで教鞭を執り、1928年にアメリカに逃れた美術家です。ニューバウハウスは1939年にスクール・オブ・デザイン→インスティテュート・オブ・デザイン(ID)と名称を変更。1949年にイリノイ工科大学に併合されます。

 写真家・石元泰博は1948年IDに入学。ここでナジが設けた基礎課程を徹底的に学びます。当時のIDはブラック・マウンテン・カレッジでケージと交流のあったリチャード・バックミンスター・フラーや、ベルリン・バウハウスの最後の校長となったミース・ファン・デル・ローエ、コンラッド・ワックスマンらが教鞭を執り、ほかにもジョルジ・ケペシュ、アーサー・シーゲル、ハリー・キャラハンという錚錚たる面々が集う場だったのです。

 石元泰博の写真が持つ「凄み」はすでに多くの人に語られるところで、唯一無二と言うべき作品を数多く残しました。本書は、作品と、作品の背景にある造形理論と、さらにその造形理論すら超えてゆこうとした類い希なる写真家のリアル・ライブドキュメントです。第45回造本装幀コンクール東京都知事賞受賞。




[ 2012/9/4 更新 ]
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