答えはでませんが……

現在、入稿前の最後の確認作業を進めているのが『新しい生活指導と進路指導』。

本文中の、「体罰」についての文章の確認をすすめる過程で、あらためていろいろと考えさせられました。

丁度、昨年末に大阪の高等学校で部活の顧問から受けた体罰が原因で男子生徒が自殺してしまった事件が、その後の展開も含め話題になっている最中でもあり、web上などでは「絶対に体罰は認められない」「愛があれば多少は認められる」「傷みを知らなければ他人の傷みはわからない」……、実にたくさんの意見が飛び交っています。

自分のことを思い返せば、小・中学校時代は特に悪い子と言うわけではありませんでしたが、普通にげんこつ、びんた、廊下で正座等々くらってましたね。立派な体罰です。その当時も、今と変わらず体罰は禁止されていました。でもそれが普通だと思っていたし、その時は痛いとか悔しいとか感じても、それを理由にその先生を恨んだり、死ぬほどつらいと思ったこともありません。また、目が覚めました先生! 俺が悪かったです! もっとがんばります! などと、口で言われる以上に反省したり前向きになったりした覚えもありません。(ただ単に、問題意識の低ーい子どもだっただけかもしれませんが。)

てことは、自分の例だけで言うのもなんですが、結局意味ないんですよね、体罰には。

意味ないどころか、それが原因でどうにかなってしまう子がいることを考えれば、やはり有害です。

最低限の有形力の行使による懲戒なしに荒れる子どもをどうおさえるんだとか、なめられたら好き放題やられて学級崩壊だとか、現場にも言い分はあるでしょう。でも、その発想はわかりますがそれしか手がないとしてしまうのは諦めが早すぎるように思います。脅しが利いた状態で一見平和が保たれるのは、いびつな状況ですよ。

では、どうするか。どうしたらよいのでしょうか? むずかしいです。

大人と大人の関係のはずの大国同士でさえ、核とか抜きで普通につき合えない世の中ですから。

うーん、どうしたものか。

(編集:凹山人)

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コメント / トラックバック3件

  1. t:eeh より:

    「結局意味がない」。わたしも同感。傷みを知らなければ他人の傷みはわからないというけれど、叩かれるのを見ているだけで痛いと思わないか? そういう意味じゃなくて、体罰を受けた人の辛さは、同じ立場にならなければわからないということ?

  2. 凹山人 より:

    うーん。いずれにせよ、体罰はいけないというところからはじめなければだめなことはあきらかですが、現場は私たちの想像を超えた状態にあるのかもしれず、それにいわば丸腰で立ち向かえ! というばかりでは先生たちもやりきれないのかなとも思います。一番恐いのは、何もしないのが一番だ、と先生たちが無気力になってしまうことですね。

  3. ケロT取締役 より:

     あ、宣伝です。四月奥付にて刊行予定の『教育通義』には現場で議論されている体罰関係の法令の解説はもちろん、児童虐待から子殺し間引きまで掲載されています。結局は子どもに大人が自由に殺害したり暴力をふるってきた、人類の長い歴史があって、その延長線上に今の教育があるという深刻な問題だと思います。
     教師ヘの一番のアドバイスは、教師は全知全能じゃないんだから、無理な成績向上や無理な矯正(強制)などは「できることはできるが、できないことはできない」とはっきり言う勇気だと思います。「先生、うちの子を殴ってください」などという親は一見すると教師の理解者ですが、実は教師を犯罪に巻き込む教唆者ですから、要警戒。教師は神様じゃなくて人間だという当たり前のことを、改めて考えるべきでしょうね。

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