鹿島ー金沢は379.1キロ

先週金曜日、大学出版部協会の部会等がありスタッフがほとんど出払っていて、出版局に残っていたのはt:eehとピロイちゃんとマスターMだけでした。そして地震…。いやなことに長く続き、3人の顔が次第に引きつりはじめ、いつもおっとりのピロイちゃんがコートを手にし「外に出た方がいいです。出ましょう」と動き始めたあたりで次第に収まり始めました。

t:eehは固まってました。長く続くにつれて3.11のことを思い出し、いろんな映像があふれ出し、胸がドキドキし始めてました。お願いですからもう止めてと思ってました。

インターネットの地図帳で日本列島の長さと幅を計ってみました。北方南西諸島を含めず、本州で一番横幅のありそうな鹿島ー金沢間で約379キロ(東京大阪間の東名神走行距離約500キロにも足りない)、札幌ー鹿児島で約1689キロ(稚内がクリックできなかったので)。いずれも直線距離です。こんな細長い島が4つのプレートに載っていて常に揺れ続けている、そんな島に住んでいるんだとあらためて思いました。しかもだだっ広い平野が続くわけでなく、太平洋側と日本海側を分ける高い山が背骨のように聳えており、山が海近くまで迫る場所が日本にどれほどあることか。

目の前は海、目の前に山、村の端から端まで大人の足で30分という、生まれたのがそういう場所でした。おかげでおいしい魚はもう食べ飽きたとほざいては時々顰蹙を買ってますが。幼い頃、明治生まれの祖父から「大きな地震が来たら履き物を持って向かいの山に一目散に駆け上がれ。余計なことは考えるな。潮が引いて沖が光ったら間に合わない」と聞かされ、経験したことがなくてもふくれあがった海の恐ろしさを充分理解しているつもりでしたが、それでも去年の大震災は受け止めがたいものをたくさん残して行きました。

いまさらこんなことを書いていやな思いをされる方がいるかもしれません。でも、「忘れるなよ」と言われた気がしました。忘れません。

編集:t:eeh

 

コメント

  1. ハムコ より:

    そのとき、ハムコは霞ヶ関ビルの35階にいました(涙
    もっとも居たくない状況です!
    椅子に座っていたので、最初はお尻に下から突き上げるような振動が
    あって、何だろう、地震かなと思っていたら、だんだんと横に揺れだし、
    しかもその揺れは、いっこうにおさまりませんでした。船酔いに似てる。
    こ、こ、こわかった!

  2. t:eeh より:

    しばらくしてから「あーっ霞ヶ関…。大丈夫かな」と3人で顔を見合わせてました。頑丈に造ったビルだそうだから大丈夫だよと話していたのですが。やはり…。想像するだけで身が縮む。

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