彫刻の春

毎年のこと、「読み初め」は何にしようかと悩むのが楽しみの1つですが、卯年は『平櫛田中回顧談』に、早くから決めていました。
「なにそれ?」という方のために解説しますと「ひらぐし・でんちゅう」という彫刻家のお話です。
でんちゅうさんは、晩年の約10年間を小平市に住まれ、現在ではそこが美術館になっています(ムサビから、もっとも近い美術館)

お正月にこれを読みはじめ、面白いもののなかなか進まない😅
読めない字や、知らない登場人物が多すぎる。
まずは「禾山和尚」←これが読めなかった。「かさん」に決まっとるやろ、アホかお前は!という方は、ここでハムコのブログを読むのはやめてね。
「三平」とか「南隠」というお和尚さんにはルビがあるんだけどな、、、「麻谷」というお坊さんも読めず←「まよく」さんです。
でも、ルビなんぞ瑣末なことで、内容は実に面白い。明治が身近に迫ってくる。

「北村四海君が出品した石彫の首を、鉈でぶちこわすという事件が起きて」とあれば、今度は、だ、誰この人?
となると、田中(たなか)修二先生『近代日本彫刻史』の出番です。

『近代日本彫刻史』には、その作品「霞」の図版が掲載されています。
おお、この可憐な少女像の首をぶちこわすとは🙀と驚くけれど、たなか先生は「頭部と右腕を金槌で破壊し、撤去した」と書いておられます。
当事者のリアルな感情と、研究者の怜悧な筆致を往還する楽しみ。

でんちゅうさん曰く「私が東京に出て来た時には、米原さんは種痘のジェンナー像をやっていた。」とは明治30年頃のこと。
「種痘のジェンナー像」も、たなか先生の御本には、その木彫原型が掲載されています。原型ということろが味噌(どうやって大きな木彫像をつくるか、というモンダイになるため)

早くからでんちゅうさんは「星取り法」を採用しますが、
「私の刀のにぶくなったのもそのためではないかと思われる。」と言っておられます。そして、つづけて「米原さんのように刀の切れる人ならよいのだが」
彫刻家にしか、言えない言葉ってあるなぁ、、、と思いながらページを繰っています。

さて、春先には「彫刻の教科書 1」として『わからない彫刻 つくる編』がムサビ出版局から刊行されます。担当の凹山人、はよ宣伝せんかいっ!
『ぺらぺらの彫刻』とあわせて、どうぞお楽しみに。
〔編集 ハムコ〕

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